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鳥居について

私たちが神社にお参りをするとき、まず鳥居を目にします。鳥居は神社を表示し、また神社の神聖さを象徴する建造物ともいえます。鳥居は神社の内と外を分ける境に立てられ、鳥居の内は神様がお鎮まりになる御神域として尊ばれます。また、特定の神殿(本殿)を持たず、山など自然物を御神体、または依代(よりしろ)としてお祀りしている神社の中には、その前に鳥居が立てられ、神様の御存在を現すものとして重視されています。

 

鳥居の起源については、天照大御神(あまてらすおおみかみ)が天の岩屋にお隠れになった際に、八百万の神々が鶏を鳴せましたが、このとき鶏が止まった木を鳥居の起源であるとする説や、外国からの渡来説などがあります。

 

鳥居は、その材質・構造も多種多様で、それぞれの神社により形態が異なります。一説には六十数種類の形態があるともいわれており、代表的なものとしては、鳥居上部の横柱が一直線になっている神明(しんめい)鳥居と、この横柱の両端が上向きに反っている明神(みょうじん)鳥居があります。このほか、形態では明神鳥居の横柱上部に合掌形の破風(はふ)のついた山王(さんのう)鳥居や、また朱塗りの稲荷鳥居など特徴的なものがあります。

 

起源や形態などさまざまではありますが、鳥居を見ると神聖さを感じるのは、我々日本人の共通した考え方ではないかと思います。

狛犬について

神社にお参りすると参道の両脇に一対で置かれた石製の狛犬を見かけます。神社境内のことを語るとき、鳥居と並んでまず思い浮かぶほど、狛犬は神社にとって一般的なものとなっています。

 

普段、私たちは石製のものを多く目にしますが、このほかに、社殿内に置かれる木製や陶製のもの、また金属製のものなどがあります。狛犬は高麗犬の意味で、獅子とともに一対になって置かれているとする説もあり、その起源も名称が示すように渡来の信仰に基づくもので、邪気を祓(はら)う意味があるといわれています。

 

神社にあるのが一般的ですが、寺院でも稀に置かれることがあり、東大寺南大門のものが石製としては我が国最古のものとされています。また、宮中では几帳(きちょう)の裾に置く重石(おもし)として木製の狛犬を用いていたようです。

 

神社によっては狛犬ではなく、狐や牛などの場合もあります。狐は稲荷神社、牛は天満宮に見られ、共にお祀りされている神様の神使(しんし・お使い)であるとされています。

 

狛犬の表情は神社、あるいは地域によって実に多様です。各地の神社を訪れた際に、いろいろな表情をした狛犬を眺めることもお参りをする楽しみの一つになるのではないでしょうか。

神社の境内にある小さな社は摂社(せっしゃ)・末社(まっしゃ)といいます。摂社、末社も本社に附属する神社ですが、現在では特に両者を区分する規定はなく、本社の管理下にある小規模神社の呼称として用いられています。

 

戦前の旧官国幣社(かんこくへいしゃ)においては、摂社と末社を区分する基準が設けられました。摂社に該当する条件として、まず本社御祭神の荒魂(あらみたま)や后神・御子神を祀った社のほか、御祭神と関係のある神や現社地の地主神(じぬしがみ)など特別な由緒がある社となっていました。こうした基準に当てはまらないのが末社であり、摂社は末社より上位に置かれていました。

 

現在でも摂社・末社の呼称は、戦前の基準による区分をそのまま用いていることがありますが、特に本社との由緒の深い神社には摂社の呼称が用いられています。摂社・末社については、本社と同一の境内地で祀られている境内社と、境内地外で祀られている境外社といった区分もできます。

 

このほか、伊勢の神宮や京都の石清水(いわしみず)八幡宮などでは、特に本社御祭神と関係の深い社を別宮(べつぐう)と称しています。

 

伊勢の神宮においては、内外両御正宮の他に、これに次ぐ尊い社として両宮それぞれに別宮があり、『延喜式神名帳』(えんぎしきじんみょうちょう)に載る式内社が摂社、『延暦儀式帳』(えんりゃくぎしきちょう)に載る社が末社、両書に記されていませんが神宮との密接な関係により古くから祀られてきた社が所管社と称されています。

 

「伊勢の神宮」とは、両御正宮のほか、別宮・摂社・末社・所管社を含めた125社の社の総称をいいます。

境内の小さな神社について

神社の紋章について

各家の家紋と同じようにそれぞれの神社にも紋章が用いられており、これを神紋(しんもん)と称しています。

 

我が国における紋章の起源は、平安時代に公家社会において用いられた紋章に遡ることができます。初めは各自の好みの文様を、それぞれの衣装や調度に装飾的な意味で用いていましたが、だんだんと父祖伝来の文様が慣用されるようになり、一族の文様として定着していきました。

 

その後、武家社会においては、戦地において敵と味方を瞬時に判別する必要から、旗指物などに一族の文様を描くようになりました。一族の団結の象徴でもあるこの文様は、目印としての実際的な意味合いが強くなり、次第に簡略化されて、現在のような家紋の形となっていったのです。

 

さて、神社における神紋についてですが、この成立に関して幾つかに分けることができます。

まず一つは、神社に縁深い神木などの植物、祭器具などを表したものが神紋として用いられる場合で、大神(おおみわ)神社の神杉などを例としてあげることができます。

 

二つ目は伝説や伝承などに基づくもので、菅原道真公を祀る天満宮の梅紋は、道真公が生前に梅の花をこよなく愛でたという伝承により、神紋として用いられたものといわれています。

 

三つ目は家紋から転用されたもので、これは歴史上の人物をお祀りする神社に見られるものです。徳川家康公をお祀りする東照宮では、徳川家の家紋である葵紋が、神紋となっています。

 

このほかにも、神紋には神仏習合に関わるものや、天文気象に関するものなど、さまざまな文様が用いられており、人々の篤い信仰と歴史的背景を現す象徴ということができます。

 

神社のいろは

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